

夫婦の物語は国境を越えて
毛さんと教江さん、ご夫婦のこれまでは、まさに壮大な物語のようなお話だった。中国がご出身の毛さんは、若い頃から声楽一筋。その才能を評価され、天津市の音楽大学で声楽の講師として教鞭を振るっていた。お二人が出会ったのは、日本。毛さんが留学のため、愛知に訪れた時だった。愛知大学、東京藝術大学などの留学を経て、結婚を機に教江さんと共に中国の天津へ。教江さんは異国の地へ移住することとなった。
「最初は言葉が全然わからなくて」と笑う教江さん。しかし、歴史も文化も習慣も違う中国で、言葉の壁がありながらも、日本語の教師として働かれていたそう。そのたくましさに驚かされる。
一方の毛さんは中国へ戻ってからも、音楽大学で声楽を教え続け、数々の有名な歌い手を世に送り出す。月日は流れ、定年を間近に迎えた毛さん。すでに愛知で子どもたちが暮らしていたこともあり、日本で第2の人生を過ごすことをご夫婦で計画する。二人で何かやるなら、友達をつくりながら、のんびりと過ごせるものがいい。例えば、地域の方々に愛される喫茶店のような。そんな想いを大切に育みながら、お二人は日本に戻ってきた。


何気ない景色でも、美しいと受け取る感性
そこは新城市の中心にありながら、静かで穏やかな自然に囲まれた地。風切山や大洞山などの山々がそびえ、近くには清らかな豊川が流れる。桜の名所である桜淵公園もそばにあり、四季折々の自然を楽しむことができる。お二人も散歩が趣味で、よく足を運ばれるそう。
果てしなく広大な平地が続く中国の天津市に住んでいた毛さんにとって、この新城市の多様な自然や起伏のある街並みは純粋に「美しい」と思えたという。
取材中、「この前、美しいと思って撮影した」と近くにある坂道を写した動画を見せてくれた。「普通」に感じられるような見慣れた日本の景色も、毛さんにとっては新鮮な景色。毛さんは日常に転がる何気ない景色を受け取り、心動かされる暮らしを送られているのだと感じる瞬間だった。


昔ながらの趣を生かした喫茶店へ
この地には以前、教江さんのご親戚が住んでおり、自宅の隣の建物で地元の方々に親しまれる割烹料理屋を営まれていた。子どもの頃に何度も遊びに来ていた教江さんにとって、新城市という街にはいい思い出がたくさん。そこで、ご親戚がお店をたたまれ、ご自宅も手放されて空き家になっていたこの建物を生かして、喫茶店を開けないかと考えた。
築60年の空き家をリノベーションするにあたり、“空き家がもつ昔ながらの趣を残したい”と思っていた。天井を走る桜の木をはじめ、雪見障子や飾り戸、すりガラスや聚楽壁など、今ではあまり見かけなくなった美しい意匠をできる限り残したい。そこで出会ったのがIGスタイルハウス。
「今この地域で暮らすお客さんにも、喜んでもらえるようなリノベーションをお願いしたい。そんな希望をうまく形にしてくださったのがうれしかったです」と教江さん。残っているものを大切にするという想いから始めたリノベーションだからこそ、古き良き魅力をそのままに、地域に溶け込む空間をつくることができた。


地域に愛される憩いの場で人々が繋がる
喫茶店の名前は「ドルチェ」。中国で一緒に暮らしていた愛犬の名前から名付けたという。家族に愛されたその名前は、地域に愛されるべく生まれたお店の名前となった。
「実際に営業を始めて近所の方々にお越しいただいて、いろいろなお話が聞けるのが楽しいです。それぞれのお客様にドラマがあることを実感できるのは面白いし勉強になります」と教江さん。お越しになる皆さんがこれまでの人生エピソードを話してくれるそうで、長い人は2時間も3時間も寛いでいかれるという。
「この喫茶店のスペースを使って、定期的にイベントを開催したい。音楽もそうですが、それだけでなく様々な形で住民の方々と広く関わっていきたい」と想いを語る毛さん。喫茶店としてだけでなく、地域の人々に新たな楽しみを提供し、深く繋がれる場所へ。お客さまにどうしたらもっと喜んでもらえるか。そう考え、実際に喜んでいただくことが自分たちの喜びにもなる。そんな豊かで広いサービス精神を、ご夫婦から強く感じる。

壮大な物語は今、地域の片隅を照らす
声楽の指導から離れた今でも、毛さんは声楽のトレーニングを欠かすことはない。仕事終わり、その発声練習で聴こえてくる歌声をBGMにしながら、教江さんは夕食の準備を進める。夕食後は翌日の営業の準備をし、ようやく自由時間。忙しい毎日だが、その分、一息つける時間や何気ないことをとても贅沢なものに感じるという。
お店の中でお二人が好きな場所は、窓際の席。季節問わず、暖かな日差しが差し込むその席は、お客さまからの人気も高いという。お店が休みの日は、日向ぼっこをしながら読書をしたり、ご夫婦でお茶を飲んだりとのんびりと過ごす。そんな些細な瞬間に、幸福を感じる。
中国から日本へやってきた毛さんと教江さん。国を越える移住にも関わらず、今では地域に馴染み、慌ただしい時も、穏やかな時も、日々を楽しむ。壮大な物語の第2章を共に歩むご夫婦は今、地域の片隅を柔らかく照らしている。